「言っておくけど、君のお母さんは、君が思っている以上に普通の人間だと思う。娘が夜の繁華街をウロついているかもしれないなんて話を聞いたら、誰だって心配する」
霞流慎二はやめろと忠告した母。
あれはただ、私がこれ以上問題を起こしたら自分にも迷惑だから、だから。
「部屋に入ってもいなかった。どこに居た?」
「それは」
「女性とは誰だ?」
「女性?」
「女と一緒に車に乗ったんだろう? 運転席には男性も居たらしいな」
「別に、誰でもない」
「誰でもないんだったら、教えてくれてもいいだろう?」
「別に、関係ないでしょう?」
「美鶴、これだけ言ってもわからないのか? 僕や聡がどれだけ心配したと思っている?」
言うなり、美鶴の肩を掴む。
鬱陶しいな。
小さくだが眉を潜めてしまったのが、瑠駆真の心を煽ってしまったらしい。
「美鶴、今、鬱陶しいな、とかって考えてただろ?」
「え? まさか」
「誤魔化すなよ。いいさ、君がそういう反抗的な態度をとるのなら、僕だって遠慮はしない。とにかく、部屋に入るのなら一緒に行く」
「冗談でしょう」
「これだけ真面目に言っているのに、冗談にしか聞こえないのか?」
身を寄せてくる。香水なんて付けているワケでもないだろうに、なぜだか甘い香りが漂ってくるかのよう。夕陽がチラリと唇に反射した。
「相変わらず世話が焼けるな。さて、どうすればいい?」
「なにが?」
「冗談ではないとわからせるには、どうすればいい?」
「は、はぁ?」
顔を覗き込まれ、美鶴はギョッと息を吸う。途端、聡の熱を帯びた声がジンッと耳の奥に響く。
「どうせだったら、キスしてるところでも見せつけてやればよかったな」
どいつもコイツもっ!
「やめろ、落ち着けっ」
「落ち着け? 君が言う? さっきも言ったが、そうやって突き放されると、こちらとしては挑発されているようで引くに引けなくなる。相変わらず君は男を理解していないね。まぁもっとも、男を知り尽くして手玉に取るような女になってもらうよりかはよっぽどマシだけれど。あ、でも、君になら、手玉に取られてもかまわないかな」
ペロッと舌を出す茶目っ気は、愛嬌たっぷりなのにどこか色気を帯びていて、艶々とした黒い瞳の奥は婀娜っぽくって、でもどこか切ない。
誰がこんなヤツを。ってか、瑠駆真を手玉に?
無理でしょ。無理むりっ! 絶対にムリッ!
それよりもなによりも、ここ、マンションの入り口なんですけどっ!
「いい加減にしろ」
「じゃあ、部屋には入れてくれるよね?」
「どうしてそうなる?」
「言っておくが、君に拒否はできない。僕には合鍵がある」
有無を言わせぬ迫力と圧倒的な魅力に、美鶴は反論の言葉も出す事ができなかった。
「言っておくけど」
部屋に入るなり、美鶴は睨み上げる。
「変な事したら警察呼ぶからね」
その言葉に瑠駆真は足を止めた。部屋に二人。他には誰もいない。瑠駆真はしばらく美鶴を凝視し、やがてふっと表情を緩める。
「何もしないよ」
「ホント?」
瑠駆真は大きく息を吸う。
「何もしない。約束するよ」
だが美鶴は、瑠駆真が一歩入ってくるごとに一歩を下がる。そんな行動に瑠駆真は小さく溜息をつき、だが咎めるような事はせずに、キッチンの椅子に腰を下ろした。
警戒されるような行動を取った自分にも原因はある。
手足が悴むほどの冬の日、瑠駆真はここから美鶴を連れ出した。そうして自分の部屋へ連れ込み、押し倒してしまった。
連れ込んだつもりはない。僕は保護しただけだ。聡から。
目の前の、美鶴がゆっくりと腰を下ろすソファーの上で、聡は美鶴に圧し掛かっていた。キスをして、抱きついて、その情景に目の前が暗くなったのを覚えている。今でも、思い出すだけで怒りが湧き上がりそうになる。
そんな想いをどうにか押さえ込み、いまだにこちらを警戒するような素振りで制服のまま腰を下ろす美鶴に、瑠駆真はゆっくりと口を開いた。
「で? 車の女性とやらは、誰だ?」
「智論さん」
「誰?」
「霞流さんの知り合いよ。幼馴染だって聞いた」
許婚でもあるんだけど。
「幼馴染? なんで君と知り合いなの?」
「大した理由はない。ただ、霞流さんが好きなら気を付けろと忠告を貰っただけ」
「忠告、か」
その言葉を口の中で転がすように繰り返し、瞬きをした。
「霞流の本性を知っている人間なんだね」
「本性どころか、原因も知ってる」
「原因?」
「霞流さんとツバサのお兄さんとの経緯も知ってる人」
「へぇ、ずいぶんな重要人物と接点を持っているんだね」
「チャカすなら帰って」
「別に茶化してなんかいないよ。ただ、君も本気なのかなって思ってね」
「本気? 私は本気だ。いつもそう言っている。私は本気で霞流さんの事が好きなんだ」
「みたいだね。最悪だよ」
薄暗闇で瑠駆真が瞳を細める。深く、暗い何かの奥底でも見ているかのようで落ち着かない。
美鶴は立ち上がって部屋の電気をつけた。カーテンを閉めて振り返ると、瑠駆真が、数歩の傍まで近寄ってきていた。
「な、何?」
咄嗟に身構える。そんな相手に瑠駆真は表情を変える事はせず、だがしっかりと美鶴を見据えて言った。
「でも、僕だって本気なんだ。だから、引くワケにはいかないな」
そうして一度口を閉じ、瞳も閉じた。ゆっくりと開いた時には何かを秘めたかのように漆黒の強い光を携えていた。
「美鶴、僕と一緒にラテフィルへ来てくれ」
「は?」
「僕と、一緒に、ラテフィルへ、来てくれ」
一言一言、聞き取りやすいように発音してもらっても、美鶴にはさっぱり理解ができない。
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